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GHOST IN THE SHELL(攻殻機動隊)−新たなる人間の誕生へ−
(まる@「現代アニメ考」:1996年9月16日(たぶん^^;;))
 米国でビデオ売り上げ一位(でしたっけ)を記録しただけに、非常によい作品でした。思わず3回も見てしまいました。とにもかくにもバトルシーンが圧巻でした。爽快なガンアクションに私はしびれてしまいました。

 さて、人形使いに使われていた男に使われていたあのゴミ収集業者の男性がいましたね。彼は人形使いに操られて、妻の不倫の調査ということで、各所の電話機からハッキングをする役目を負わされていました。もちろん「妻の不倫の調査」なんてのはうそっぱちでした。いや、妻がいることすらうそっぱちだったのです。結局、彼のすべての記憶は作られたものであり、にせものでした。しかし彼がその刷り込まれた記憶から抜け出せない以上、うそであってもこの先も一生それに縛り付けられてしまうわけであり、ということはその記憶は本当であるとも言えます。そもそも人が一生のうちで得られる情報量など限られており、その中ではすべてが夢であり、かつ現実でもあるのです。
 そうはいっても、簡単に割り切ってしまうのではなく、草薙素子少佐は自分に問い掛けるのです。電脳と擬体とで構成された模擬人体である自分。果たして自分は存在するのか否か。そもそも自分などは周囲の状況から自分らしきものがあると漠然と判断されているに過ぎないのです。では、自分とは何か、そして何を根拠に自分を信じるのか・・・わずかな記憶?
 その問いかけの先に現れるのは、人形使い(プロジェクト2501)でありました。彼は自分の意志で、自らの欠けているものを埋めようとして素子のもとに現れました。が、6課によって人形使いは奪われてしまいます。そして彼を取り戻そうとする素子らと6課とのバトルが繰り広げられた後、素子人形使いへと”ダイブ”するのでした。そこで両者は語り合うのでした。さて、人形使いは死ねませんから、完全な人間ではありません。素子素子で、電脳と擬体とで構成された模擬人体でしかない自分でない自分を探していたわけでした。お互いに自分に欠けているものを求めているわけですから、似た者同士です。ゆえに人形使い素子と一緒になろうとします。
 その結果、人形使い(プロジェクト2501)素子とが融合します。そこにおいて新たなる人間が誕生するのでした。融合後には人形使い、もしくは草薙素子少佐とかつて呼ばれた人間は存在し得ません。かつての人形使いは死を手に入れて完全なる人間となり、またかつての草薙素子少佐かつての人形使いの膨大なネットを手に入れ、新生します。私が私であるという制約を脱ぎ捨て、新たなる次元にシフトし、新たなる少女が生まれるのでした。彼女はさきほどのゴミ収集業者の男性のように、うそか本当か夢か現実かわからないような記憶にすがって生きていくわけではありません。自ら情報のネットワークに飛び込んでいくことで、いわば記憶を作り出そうとするのです。もはや「自分は存在するのか否か」を問うことはないのです。自らの行為で存在することが出来るわけですから。また「何を根拠に自分を信じるのか」を問うこともないでしょう。根拠を作り出すわけですから。つまり、彼女は自らを作り出しつつ、新生し続けていくのです。
 そこに見られるのは一つの脱却であります。もはや幻や夢であるかすかな記憶によって生きる私は私ではありません。少女はその状態から脱却しているのです。そこにいるのは、様々な情報のネットワークを取り込んで、いまここで自らの手で情報を得、記憶を作り出し、そして自分を作り出す、新たなる人間なのです。そして少女はその新たなる人間を生きていくのでした。

 ところで蛇足ですが、前作のパトレイバー2では、押井監督は東京をとことん破壊しました。まあ最後に希望は残しましたが。今回の攻殻機動隊では、高度に情報化し、人間がほぼ完全にその従属下にある中で、情報をネットを取り込み、こっちから発信することで人間を新たに作り出してしまおうとしました。現代の人間や社会への否定的側面が強かった前作から、新たなる人間を作ってしまう積極的肯定的要素の強い今回の作品へと、押井監督は変化を遂げたようです。今後のご活躍に期待したいと思います。




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