直線上に配置
マクロスのスケッチ−歌の変容−
(まる@「現代アニメ考」:1998年2月2日)
 ここではマクロスシリーズを、歌の変容を通して、初代マクロスからマクロス7、マクロスプラスへとまとめていきたいと思います。

マクロスの魅力とは?

 まず手始めとして、超時空要塞マクロス=初代マクロスを振り返ってみたいと思います。初代の魅力は以下の二点にまとめられると思われます。

その1、何といっても三角関係(笑)

 このアニメの見所は、やはり主人公の一条輝と早瀬ミサとリン・ミンメイとの三角関係でしょう。ミサとミンメイとの狭間で揺れ動く輝の様子が見事に描かれているのではないでしょうか。でもやっぱり最後は早瀬ミサの方に行くのですね。うーん、難しいなあ。
 はじめはミンメイと仲がよかったんですけどね。この二人が微妙にずれていくんです。まあ当初はミンメイの方が意識してなかったというのも大きいのですが、一方はパイロット、一方は歌手という立場の違いがだんだん大きくなっていったのでした。また二人は遠く離れていましたし。だから戦友が死んで輝が落ち込んでいるとき、ミンメイは彼に明るさを求めたし、またミンメイが輝にそばにいて欲しかったときには、彼は戦いに行かなければならなかったりしたんでした。で、両者共々、次第にいつも自分を見守っていてくれた人にひかれていって、二人を繋げていた心の糸はプツリと切れてしまったのでした。ミンメイは自分の利益しか考えない彼とわかれた後、再び輝に近づきますが、もうだめなのでした。輝もミンメイにひかれていきましたけど、結局はミサなんでした。
 やっぱし近くの人にひかれていってしまうんですかねえ。まあ遠くでお互いにひかれあっていたとしても、気持ちは伝わりませんしね。自分の近くにいて自分のことを見守っててくれて、優しくしてくれて、気持ちが伝わってくる人の方をやっぱり選んじゃうものでしょうか。あと、ミンメイ自身にも問題がありましたね、そういえば。ミンメイも惜しいところまではいくんです。でもミンメイは輝に自分とずっと一緒にいてくれることを望みました。軍をやめてくれ、とかなんとか言うのでした。だけど輝にも今まで背負ってきているものがあります。ミンメイとの私生活に篭ってしまうのではなく、みんなを守るために戦わないといけないのです。ミンメイは彼のそういう気持ちを理解しようとしませんでしたね。厳しく言えばミンメイはあまり主人公を愛してはいないのでした。彼をあるがまま受け入れられなかったからです。あまりにもミンメイは自分のことしか考えてなかったのでした。

その2、戦後を巡って−歌のパワーダウン−

 また、敵と戦って、見事に勝って感動的なフィナーレを迎えておめでとさん、といった通俗的な展開を辿りつつも、戦後を描き切ったというのが大きいと思います。互いに異なった人種がいかように共生していくか、そこにはどんな困難があり、かつどんなドラマがあるのか、ということを上手くとらえました。マクロスから先、戦後を取り扱った作品というのを私はあまり知りません。
 戦うなんておかしいぜ、ミンメイの歌を一緒に聞いてればそれでいいじゃないか、ということで地球の人々と一部のゼントラーディの人々は手を取り合ったわけでした。しかしその共同体が崩れていきました。やはり戦うことの好きなゼントラーディの人々。地球での不慣れな生活や退屈な日常に耐え切れずに、彼らの一部は再び戦いを求めました。
 この間にミンメイの歌も以前ほどの人気はなくなっていくんですよね。マクロス7なんかはもう豪快に「俺の歌を聴けえ!!」となっているわけですが、初期マクロスでは歌の影響力の衰退が結構寂しげに描かれています。ミンメイが輝への愛情を取り戻していくんだけども輝に振られてしまうというプロセスとそれは重なっていますから、いっそうむなしいわけです。このように初代マクロスには結構歌に対してシビアな面もあるということは注意してしかるべきでしょう。
 繰り返し確認しておきますと、初代の映画版「愛・おぼえていますか」では戦後というのは全く描かれなくて、プロトカルチャーたる歌のパワーで戦争を停止させて、その間にゼントラーディの中心部を叩いて戦争は終わってハッピーエンドだったわけです。でもテレビ版では戦後が描かれており、そこでは歌の力はだんだん無くなっていったんでした。このように初代では歌の力が大きく取り上げられながらも、その力の衰退もむなしく描かれていたのです。

初代以降へ

その1、マクロス7−前面に出る歌−

 初代以降、歌はどうなったんでしょうか。まずマクロス7ですけど、最近「マクロス7−銀河がオレを呼んでいる!−」を観ましたので、それから考えていきたいと思います。これは95年の作品ですね。マクロスプラスと一緒に上映されたものです。プラスのほうが本命だったようで、マクロス7の番外編たるこの作品は30分程度しかありません。だから物語の展開もスピーディでありまして、なかなか面白いのでありますが、その反面単調さも感じさせます。
 でもマクロス7ってすごいですよねえ。だって、「オレの歌を聴けえ!!」ですから(笑)。「歌エネルギー」ですし。初代マクロスの「プロトカルチャー」というのが、それだけでもすごかったのに、7ではさらにさらに実体化されてますよねえ。歌でみんな解決しちゃおうというのをこんだけ前面に出せるというのはほんとにすごいです。またそれが行き過ぎていて、滑稽さを感じさせてしまうというのもまたすごいですよね。まったくもうメチャクチャであります(^^;;。

その2、マクロスプラス−歌の多様化へ−

 さて、他方で同時上映されたマクロスプラスはどうだったでしょうか。ちなみに以下に言う「プラス」とは「Macross Plus Movie Edition」のことです。これは何はともあれ音楽がすばらしいのです。なにせ管野よう子さんが作曲なさってますし。でも、このプラスでは必ずしも歌がいいものではないんですよね。ヒロインのミュンはもともとは歌手になりたかったんですけど、自分には無理だということで、代わりにシャロン・アップルというヴァーチャルアイドルのプロデュースをしているわけです。ところがこのシャロンが反旗を翻すのでした。シャロンは自分の歌で地球の人々を失神(でいいのかな?)させてしまうのです。で、主人公のイサムを呼び寄せて、自分のものにしてしまおうとします。夢を諦めたミュンはシャロンに自分の代わりをやってもらっていたわけで、シャロンは歌についてだけでなく、イサムにひかれていつつも自分から近寄ろうとはしなかったミュンの代わりをもしてしまうのでした。まあそれはいいとしましても、シャロンの歌は人々をおかしくしてしまうわけで、歌については否定的でありまして、従来のマクロスに無かったことを示してみせたのです。
 ですが、プラスでは歌はそれだけではありません。イサムがシャロンの虜になってしまうかと思われたその時、シャロンのでない別の歌がイサムの耳に聞こえます。そう、それはミュンの、ミュン自身が歌う歌=「Voices」(作曲が管野さんで、歌っているのは新居昭乃さん!)だったのでした。シャロンの歌は否定的なものでしたが、ミュンの歌は肯定的です。マクロス7のファイヤーボンバーの歌と同じような感じです(もちろん曲感は全然違います。まあ与える感動が同じ、ということで)。ですが、プラスのミュンの歌は肯定的ではありますが、消極的なのです。マクロス7の歌とは大違いでした。ミュンの歌はイサムにほんのかすかに聞こえるだけです。またその歌によってシャロンによって失神(?)させられていた人々が元に戻ってしまうなんてことはありません。ミュンの歌はほんとにかすかに、イサムにしか届きません。その歌が影響を与え得るのはイサムとミュンくらいなんです。そしてイサムとミュンの心のスイッチを、素直になるという方向にコチッと動かすのでした。

これからは?

 「プロトカルチャー」としての平和に対して積極的な効果を持つ歌と、戦後の共同体崩壊の中で衰退していく歌とを描いた初代マクロス。それが現在どのように継受されているかといいますと、まず7では「プロトカルチャー」がいっそう押し出され、歌は「歌エネルギー」を持ち、様々な困難はありつつもマクロ的な平和に繋がっていくものでした。その一方のプラスでは、積極的+否定的な歌=シャロンと、それに対して消極的+肯定的な歌=ミュンがあったわけでした。このようにマクロスの歌の変容をスケッチしていきますと、現在では歌によりいっそうの広がりが見えるわけです。今後もし新たなマクロスが始まるとしたら、こうした歌の広がりをどのように受け止めるのかが大きく問われてくると思います。マクロスファンとしては、新たなマクロスシリーズが始まらないかなあという希望とともに、そういうことを考えてしまうのです。




直線上に配置
inserted by FC2 system