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MEMORIES
(まる@「現代アニメ考」:1996年9月16日(たぶん^^;;))

すばらしい!

 いい作品ですね。大友監督の前作である「AKIRA」より遥かに良いです。

「1 MAGNETIC ROSE −彼女の想いで−」

 第一話は何といっても音楽担当が菅野よう子さんであることが目をひきます。ただもうすばらしいですね。私は感動しました。

 話は「ハインツ 対 エヴァ」の路線で捉えていいでしょう。その対立はまた「現実世界の住人 対 虚構世界の住人」であると読めます。
 しかしなかなか伏線といいますか、隠喩でしょうか、その表現が上手いですね。ハインツが漂流船=エヴァの家を探索中に部屋の中で、少女の人形のオルゴールを見つけます。しかし、その人形は机から落ちて壊れてしまいます。またハインツは同じく少女の人形が天井から落ちるのも見ます。これらは後に明らかにされるハインツの娘=エミリィの死を暗示しているんですね。さらに、カルロとエヴァの写真がミゲルとエヴァに変わるシーンがありましたが、それも後のミゲルを示唆しているんですね。なかなか考えられています。さすがですね。
 で、本題なのですが、奥様=エヴァはオペラ歌手でした。カルロという結婚相手も得、幸せだったのですが、彼女は声を失ってしまったのでした。そんなわけで現実が彼女の思い通りに行かなくなって、彼女はカルロを殺し、虚構世界の永遠性の中で生きようとします。ミゲルはそんな彼女に惹かれてしまい、彼もその世界の住人になるのでした。ミゲルでなく、カルロとして。
 ハインツもエヴァの世界に取り込まれそうになります。ハインツはエヴァの見せる虚構の舞台の上でエヴァにナイフで刺されます。その時、エヴァの虚構生成の力を借りて、ハインツの家庭が現れ出ます。娘と妻との朝食のシーンなのですが、その妻がエヴァに変身します。で、ずっとここに居るように言います。つまり虚構世界へと誘っているわけですが、ここではなんとかハインツは現実に戻ります。
 ハインツはそれからミゲルのところに行き、ミゲルがエヴァに取り込まれてしまっているのを見るのです。ハインツはミゲルに言います。それは「現実じゃない」と。「彼女の想いで」に過ぎないから現実に「戻れ!」と。しかしミゲルは戻りません。エヴァとハインツとの対決は最高潮に達してきます。エヴァは言います。カルロは永遠であると、現実がどれほどのものであるのかと。ハインツは言います、現実を見ろと。それを受け、エヴァは再びハインツを自らの世界に取り込もうとします。ハインツにエミリィの死(屋根から落ちて死にます)を思い出させ、虚構世界の中でエミリィを生き返らせ、エヴァはまたも妻を演じ、ハインツと一緒に暮らして行こうとします。しかしここでもハインツは現実に戻るのです。思い出は逃げ込む場所じゃない!と叫んで。
 長々とストーリーを追ってきましたが、この作品のポイントは終わり方ですね。エヴァとハインツとの対立があるのですが、ハインツの虚構否定を受けて、エヴァは高らかに歌い出すのです。ハインツは宇宙空間に吹き飛ばされるのですが、生き残ります。つまり、繰り返される対立の中で、虚構世界の住人たるエヴァは現実世界にいたミゲルを虚構のカルロとして自らの世界に取り込み、虚構世界を完成させるのです。現実世界の住人たるハインツは虚構世界で現実には死んだ娘のエミリィと再会し、改めて現実世界に自らを飛躍させるのでした。
 かつて、三島由紀夫は「金閣寺」において、「金閣寺」という美の観念が常に入り込んでしまって現実を生きられない青年僧を主人公にし、彼に「金閣寺」を燃やさせて美を完成させ、その上で現実を生きようと決心させました。トーマス・マンは日常の現実世界、及びその中の住人達に言いようもない憧れを抱き、それを温かく見守りつつも虚構の芸術世界に生きました。「虚構」と「現実」との相克、そして「現実世界の住人」と「虚構世界の住人」との相克には誰もが苦悩するわけですが、この「MEMORIES」では虚構の人と現実の人とが通じ合うというか、通い合うというか、わかりあうというか、そのような和解する道がないわけではないということが示唆されているようです。なかなか面白いです。私には衝撃的でした。

「2 STNK BOMB −最臭兵器−」

 これは面白い。スピード感あってよいです。

「3 CANNON FODDER −大砲の街−」

 これも面白いですね。管理社会のありようをよく表現しています。



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