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エヴァ論集
(まる@「現代アニメ考」:1995-96)

ミサトさんのカップラーメン

 あの悪食家のミサトさんが第5話で作った、カレー入りカップラーメンを私も作って食べてみました。私の友人のK氏が”おいしいよ!!”と言っていたので食べてみることにしたのです。上手い具合にカレーが冷凍庫にあったしね。
 んでもって、作り方ですが、
  1. 普通の味のカップラーメンを用意する。   
  2. カレーを用意する(レトルトのやつがお手軽でよろしい)。
  3. お湯を沸かして、カップにそそいで、カップラーメンを作る(ミサトが言っていたように、コツはお湯をあまり入れないこと。カレーをたくさん入れるため)。   
  4. 3分たったらカレーをおもむろに入れる。タップリ入れちゃいましょう。
 ほい、これで完成です。

 食べてみた感想は・・・・・・おいしい!!(笑)
 いや、これが意外とおいしいのです。ぬう〜、やるな、ミサト (^^;;
 「単なるカレー味のカップラーメンじゃん!」と言われてしまえばそれまでなのですが、カレー味のカップラーメンとはこれまた味が違うのです。カレー味ではなく、普通のカップラーメンの味にカレーが混ざった味なのです(そのままやんけ)。なかなか味にコクがあってよいです。
 今回は用心していたので、カップラーメンのミニサイズで試したのですが、今度からは普通のサイズ(ビッグサイズでもいいかも)で食べてみようと思います。皆さんも作って食べてみたらいかがでしょうか。おすすめです。
#たとえまずくても、たとえお腹壊しても責任は負いません。あしからず・・・


アスカ、崩壊。

 いきなりですが、アスカは崩壊してしまったのでした。いたく干からびた状態で(おいおい)ネルフ諜報部に発見されましたが、あの干からび具合からいっておそらくは餓死しようとしたのですかねえ。いや”しようとした”なんていうことすら考えられなかったのかな。
 エヴァに乗ることがすべてであり、それ以外に自分に価値を見出すことができなかったアスカは、自信を喪失してシンクロ率が下がってしまってまた自信を失って・・・という悪循環に陥ってしまってもはやエヴァに乗れなくなって、自らを寄せるところをなくしてしまってついには崩壊に至ってしまったのでしょう。
 そーゆーことに加えて、その”崩壊”には、表面上以上にはほとんど誰とも打ち解けることのなかったアスカが、ついには最終的な自己救済−自らの心体とともに一切の過去を消滅させるための「餓死」−に辿り着かざるを得なかった、ということも含意されているのでしょう。エヴァのこの部分における主旨は、このようなアスカをアンチ・テーゼとして受け取って、人は一人では救われず、やはり他者との関係によって救われうるのであり、またそうすべきなんだよー、ということなのでしょうか。それはわかってるんですけど、しかし、人を滅ぼすのもまた人なのですよねえ。ここいらへんのバランスが難しいのですけど。



宮台論文(朝日新聞2月26日夕刊)を受けて

 宮台真司氏はエヴァの最終の25話・26話における現実世界への回帰に対し、作者の庵野監督が、なぜエヴァの体内にまどろんでいてはだめであって現実に帰らなくてはならないのかという理由が述べられていないとおっしゃっている。そしてその問題は自意識の問題ではなく、世界の謎に言及して倫理を導き出さなくてはいけないとしておられる。
 しかし、現実世界に戻るべきだという主張の理由はエヴァの中で明確に主張されているのではないだろうか。それはアスカの叫びであり、シンジの呟きである、
「でもひとりはイヤなの!」
「ひとりはいやだ」
である。私見であるが、庵野の描く現実世界とは「諸関係の総合体」である。そして自分の自由意志でそれと自分とは関係を持つことが出来るし、関係を更新することが出来るとする。しかし、主人公碇シンジはそのような世界と関係を持つことができない。ヤマアラシのジレンマを言ったのはリツコであるが、シンジは人との関わりを取ることで自分が傷つくのが怖いのである。それで彼はひとりで居ようとする。誰にも心を開くことがない。そしてその中で自己完結して満足しているかというとそうでもないのである。
 さて、論文で宮台氏が指摘なさっているように、現在、ゲーム、パソ通、インターネットが盛んになるにつれ、それらが現実から遠ざかっているとされ、一方的に批判されている傾向がある。私もこのような風潮に疑問を感じるという点では宮台氏と同意見である。現実世界は虚構の世界よりも優れていると簡単に言えるものなのだろうか。これについては誰も明確には証明できまい。しかし、庵野=エヴァの主張はそれらの風潮とはまた別のものではないだろうか。すなわちエヴァは虚構世界に住む人の中にある「でもひとりはイヤなの!」「ひとりはいやだ」という声を取り上げたのである。本当に虚構世界に篭っていていいのか、ひとりでいいのか、「何を願うの?」。エヴァのたたみかけてくる問いかけの嵐の前に、虚構世界の住人達ははたと立ち止まり、自分自身について再考せざるにはいられない。それらの問いかけをシンジに浴びせ掛けつつ、自分はいらない人間なんだと、エヴァに乗らないと誰も認めてくれない人間なんだと信じる人間であったシンジを、シンジの中にある「ひとりはいやだ」という呟きを引き金にして、「僕はここに居てもいいんだ!」と虚構から現実へとへ引き戻したのがエヴァの最終25話・26話であったのだ。
 その理解の上に改めてエヴァに対する疑問を挙げてみよう。私が、そして私の畏友たちがこの最終25話・26話を見て疑問に感じたのは、上段示したプロセスの中で特に「僕はここに居てもいいんだ!」という自己肯定への道があまりにも早すぎるのではないかということであった。このおそらくは現実世界において自身が生きていく中で一番大きな問題について解決を与えるのは、TVの25話+26話=1時間足らずはあまりに思考実験の時間が少なかったのではないか。むろん、エヴァのすべてがこの問題に解決を与えようとする試みであったとするならば、エヴァの総放映時間がそれに充てられたわけである。しかし、存在を肯定することは徹底的に全否定と全肯定との弁証をもって与えられるべきことである。そう考えるとTVエヴァには物足りなさを感じてくるのだ。故に私は映画版エヴァに過度の期待を抱くものである。劇場で流されているというCMを見るとかなり期待出来そうだ。放映開始が楽しみな今日このごろである。


EVANGELION:DEATH AND REBIRTH

 劇場版を観に行きましたー!!
 八王子の映画館にいったのですが、かなり混んでましたね。

 さて、それはいいとして内容ですが、「DEATH」「REBIRTH」との2本だてになってるんですね。・・・・・・しかーし、その前に実は同時上映として「ルナ」をやるのです。結構笑えて面白いのですが、エヴァを見てしまうと、「ルナ」は吹っ飛んでしまいます(笑)。ということで、さっさと本題に入りましょう。

 「DEATH」

 はい、総集編の方です。なかなか新作カットが多く、楽しめます。TVで、シンジが零号機のエントリープラグをぎしぎしやってこじ開けて、レイを救出(?)して、二人の心が通い合い、シンジに促されてレイが笑うシーンがありましたね。そのシーンは気合い入りまくりで描き直されています。レイの微笑はもうカンペキといっていいほどの出来です。編集もなかなか工夫されていました。時折入る学校でのバッハかなんかの曲の演奏練習(?)ですが、レイが部屋に入ってくるときアスカがシンジとレイを冷やかすかのごとくクスクス笑っているシーンがありましたけど、あれって最後にはシンジとレイが結びつくことを示唆しているんでしょうか。

 「REBIRTH」

 で、新作の方ですが、まず叫ばせていただくと、  

あんなん、マヤさんじゃなーい!

 しくしく(T_T)。マヤさんの顔がひしゃげちゃってるんですう。かなり悲しいですね。ショックでした。

 それはさておき、今回はアスカの「REBIRTH」が中心でした。アスカは「DEATH」の方で、加持リョウジの死を告げられます(新作カットです)。その後にお風呂に入るのですが、栓を抜いて湯船のお湯をすべて捨ててしまいます。ミサトやシンジが入ったお湯になんか入りたくないと言って。そのようにして、最も身近な存在であるはずのミサトとシンジを否定し、彼らを否定しているところの自分自身をも否定していき、精神崩壊にいたる様子が、TV版よりも遥かに強い調子で描かれています。
 「REBIRTH」においても、アスカはこんなの自分じゃないと自己否定を何度も何度も繰り返していきます。その間にもゼーレによるネルフ本部占拠は続き、侵攻してきた戦闘員によってネルフ職員は数多く殺されていきます。ついには戦闘員が戦闘指揮所にまでも攻め込んでくる事態になります。アスカはエヴァ2号機に乗って隔離されているのですが、ゼーレによる一斉攻撃の衝撃がそこまで押し寄せてきます。そのような中で、まさしく生と死の狭間で、アスカは2号機の中でうめき続けるのです。「死にたくない」、この言葉が何度もつぶやかれ、何度も叫ばれます。その結果、やっとこさアスカは自分を肯定するのです。
 しかし、エヴァはよくやってくれたと思います。現代文学なんかは決してこんな突き詰めた思考実験なんかしません。アニメでよくぞここまで・・・といった感じです。文学ではなく、ましてや哲学ではなく、私のよって立つところはやはりアニメなんだなあと改めて感じさせてくれた一品でした。TV版第25話・26話を中心にバッシングされるエヴァですが、もう素直に庵野監督をはじめとするエヴァ制作スタッフの皆さんを誉めていいのではないでしょうか。




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