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アニメーション評論の方法と態度−補遺
(まる@「現代アニメ考」:1998年5月3日)
アニメーション評論の方法と態度」という文章は、このページにおける私の基本的な姿勢を示したものであり、色々な文章がある中で一番気に入っているものであります。結構重要な論点を提出できているのではないかと、誰も誉めてくれないから自画自賛しております。一方で、今になってみるとちょっち「?」だなあと思うのが「機動戦艦ナデシコ総論−自分勝手と「素敵な自分勝手ってとこ」のはざまで−」です。かなり変に力が入ってしまっており、今読み返してみると赤面してしまうようなところがあります。まあしかし文章を書いた当時の私らしさが出ているのではないかと思い、そのままにしてありますが。

方法論の偏り?

 まあそんなことはいいとしまして、ここでは本論の「アニメーション評論の方法と態度」を少し補っておきたいと思います。その文章で私はアニメを論ずる時の方法と態度とを提出してみたのでした。「方法」とは「アニメに即すこと」でありました。ところで、私はこの方法論を忠実に守り得ていません。従いまして私のエヴァ論にもナデシコ論にも一定の偏りが生じてしまっています。そうした偏りについてちゃんと指摘しとかないといけないのではないかと思い、「補遺」をまとめておこうと思った次第です。
 その偏りとは私がアニメを主にその言葉に即して読んでしまっているということです。エヴァ論では「ココ」、ナデシコ論では「素敵な自分勝手ってとこ」というように、焦点が置かれているのはいずれにしても鍵カッコで括られうるところの言葉なのです。これはおかしいはずです。「アニメに即すこと」を貫くのでありましたら、そのアニメの表現方法や構成などにも即して論じなくてはなりません。しかし私はそういうのが出来ていないわけです。もちろん私が注目する言葉はエヴァの中で登場人物達が一定の構成にのっとって発言しているわけでありますから、言葉に注目するというのはアニメの表現方法や構成にも着目し得ているわけではあります。ですが、やはり私の論じ方はアニメの表現方法や構成についての視点は弱いのであります。
 その原因は何かと言いますと、これは簡単な話でありまして、私はアニメの製作者ではないからです。作るものの立場に立っていないので、表現方法が云々とか構成がどうこうとか言うことが出来ないのです、技術的に。最近は意図的に表現方法とか構成に注目してアニメを見るようにしているんです。しかしアニメ製作の方法を知らない私ですから、不十分な見方になってしまうのです。よって、私としましては、このページでは偏ったアニメ論=言葉に即す方法というのをやっていくしかないわけであります。読まれる方々は、私のこうした不十分な点をご理解いただきまして、文章を読んでいただきたいと思います。表現方法や構成につきましては、この表現だからこうなんだ!というところがありましたら、掲示板なりメールなりで私に教えていただきたいと思います。

「態度」を巡って

 あと私は本論において「アニメを他のものとの同一水平線上において捉える」という「態度」についても書いておきました。さてこちらは文脈の問題があります。私が前に「態度」述べたのは、アニメをまともに取り上げない知識人の方々に対して、アニメを自分の専門分野などと同等のレベルに上げないといけないよ、という文脈においてでした。後になって考えますに、この文脈のみでは不十分でありました。
 ではどういう文脈において「態度」を言えば十分なのかといいますと、アニメをきちんと見ている人に対しての文脈です。すなわち、アニメを常日頃から見ている方々に対して、アニメだけを重視して特権的な地位を与えるのではなしに、他のいろんな物も同一水平線上に置かなくてはいけないよ、という文脈においても「アニメを他のものとの同一水平線上において捉える」という「態度」を言わなくてはいけないのであります。まあ本論は知識人の方々の手になるエヴァ論批判の形を取っていましたので、こっちの文脈はほんのちょっとしか取り上げることが出来なかったわけです。しかしこっちもきちんと指摘しておかなくてはなりますまい。
 ちなみに私は大のアニメ好きであります。一日の中でもアニメを見る時間は大きな割合を占めていますし、ぽけっとしているときもアニメについてあれこれ考えているわけでありまして、そうしますとアニメは私の生活のかなりの部分を占めてしまっているということになります。しかし、ここで純粋化していってはならないと考えます。アニメだけに集中してしまって、アニメしか見ないアニメしか認めない・・・となってしまうのは問題でありましょう。現在はメディアがたくさんあります。小説やら論文やらエッセイやら漫画やら映画やらTVドラマやらアニメやら・・・こうしたたくさんのメディアによって色々な名作が積み重なっています。そんな積み重ねを無視してしまってはつまらないでしょう。アニメのみに凝り固まってしまうというのはアニメ以外の豊潤な積み重ねを捨て去ってしまうことを意味するわけで、大変もったいないことなのです。
 「アニメなんて子供の見るものであって、くだらん!」と言うのは愚かなことです。ですがそれに対して「アニメこそ素晴らしいんだ!」と張り合ってしまうこともまた愚かなことです。どっちも何かに凝り固まっていると言う点では同じです。そういうんじゃなくて、いろいろなものを同一水平線上において捉えていこうとする態度こそが求められるでありましょう。様々なところにたっぷりとある豊潤なテクストを見逃すわけにはまいりませんから。

 私はいいかげんなので、普段はあまり自分が書いた文章についてはフォローしないのです。しかしたまにはフォローしなくちゃいけないだろう、ということで珍しく以前に書いた文章の「補遺」なんかをまとめてみました。いかがでしたでしょうか。




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