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記憶の物語−ミサトの十字架を巡って(中編)−
(まる@「現代アニメ考」:2001年12月30日)
はじめに−「十字架」の消失点−

 さて、”中編”ということで、シンジへと継承された十字架のネックレスの行方を追っていきます。続きとしては、シンジがエヴァ初号機が置いてあるところにエレベータで下っていくシーンからですね。・・・が、今後の論の展開のためにここで一つ言っておきます。それは何かっていうと、このシンジに継承された十字架なんですが、最終的にはシンジの手を離れるんですよね。なんでシンジの手を離れるのか。逆に言うと、何でそれまで十字架はシンジのところにとどまっていたのか。ここんところ、すなわち「十字架の消失点」こそが、”記憶の物語”たるエヴァの大きなポイントだろうと思います。はじめにそこんところだけ、指摘しておきます。

エレベータの中で

 シンジはミサトによってエレベータ内に押し入れられます。ドアが閉まり、シンジとミサトは別れるわけです。ミサトは大量の血を流し、爆発とともに死にます。かたやシンジはエレベータの中で一人泣きます。ミサトから継承された「約束」の十字架を確認しながら。
 ストーリーとしては、このあとアスカが、一度倒したはずのエヴァシリーズによってめちゃくちゃにされてしまいます。シンジはエヴァ初号機に乗ることは乗ったのですが、アスカの状況を見て衝撃を受けるのでした。

気づきの十字架

 さて、単純に十字架の行方を追っていくことにしましょう。エレベータ内のシーンの後で十字架のネックレスが映し出されるのは、エヴァ初号機内です。どういう場面かというと、レイが碇ゲンドウのもとを離れて、リリスのもとに帰り、巨大化してエヴァ初号機に迫っていく場面です。シンジは初号機内で自らの手を見ます。その手にミサトの血の付いた十字架のネックレスがあります。
 ところで、手を見るシーンはこの前にもあるんです。初号機が高度をどんどんと上げていって、エヴァシリーズによって”精蹟”(せいこん)が刻まれるときです。しかしそのときにはシンジの手には十字架のネックレスはありません。それが、次のシンジのシーンになると上記のように手に十字架のネックレスがあるのです。劇場版には直接描かれることはないのですが、ここにはシンジの行為があります。なにを思って十字架を手にしたのかはわかりません。しかし、とにもかくにもシンジは十字架を手に取りました。十字架で思い出されるのはミサトの記憶です。そのミサトの記憶については前編で確認しました。一言で言うと、「他者に助けられた、守られた、愛された記憶」のことなんですけど、そこではシンジに宿題が課せられていたのでした。再度引用いたしましょう。

いい?シンジ君。もう一度エヴァに乗ってケリをつけなさい。エヴァに乗っていた自分に。何のためにココに来たのか、何のためにココにいるのか、今の自分の答えを見つけなさい。
そしてケリを付けたら、必ず戻ってくるのよ。
約束よ。

そう、シンジは答えを出さなくてはいけない。そして必ず戻ってこないといけないわけです。十字架を手にしてシンジはそのことに気づきます。しかしどうしたらいいのか、このときのシンジにはわかりません。したがって、両手を顔に押しつけて、シンジはうめくのみです。「ちきちょう。ちきしょう。ちきしょう。ちきしょう」と。「ちきしょう」とは悔しがる言葉です。ミサトの記憶、そこに込められた思いに答えることのできない、何をしたらよいのかもわからない、悔しさがここにはありましょう。

ATフィールド共鳴の中で

 シンジの前に巨大化したレイが現れ、「エヴァンゲリオン初号機パイロットの欠けた自我をもって人々の補完を」、つまりは人類補完計画が実行されていきます。エヴァシリーズのATフィールドが共鳴し、「レイと同化を始め」てゆきます。ATフィールドに囲まれている初号機の心臓部があらわになります。ATフィールドによって隔てられている心が、互いに補完しあって1つになろうとするのです。心理グラフもシグナルダウンし、「これ以上はパイロットの自我が持たんか」(冬月)という状態になります。シンジは初号機の操縦席で叫び続けます。叫び続けた後に繰り返される言葉は、「もういやだ。もういやだ」。そのとき「もう、いいのかい」とカヲルが声をかけるのです。
 さて、ここであらわれたカヲルとはシンジにとってどのような存在でしたでしょうか。TV版の24話を思い出すまでもなく、カヲルは使徒であり、シンジはカヲルを殺します。カヲルを殺さねば自分が死んでいましたし、カヲル自らも死を望んでいたのですが、シンジはカヲルを殺してしまったことをずっと気に病んでいました。友達であったカヲルを殺してしまった自分はダメな人間なんだと自身を規定し、なにもできない状態でした。
 ここでそんなカヲルがあらわれます。シンジは叫びます、「そこにいたの、カヲルくん!」。シンジはカヲルを見つけ、安心した表情をうかべます。なんで安心したかというと、さきほど確認したように、シンジはカヲルを殺したことで自分をだめな人間だとしていたわけですから、カヲルがそこに現れたことで、シンジはカヲルを殺したわけではないということになり、自分はだめな人間ではないということになるからでしょう。しかし、カヲルはほんとはいないです。当然シンジが殺してしまったわけですから。シンジの言葉が指し示すごとく、カヲルは、自分のいるところ=ココではなく、「そこ」にいます。そこにいるカヲルは人類補完計画が見せる幻。後にでてくる言葉を使うならば「」であるわけです。つまりはシンジが感じた安心もまやかし。そんなんでカヲルを殺したことから逃れることはできません。ですがこの場面のシンジはそんなことに思い至らず、そこにいるカヲルで安心してしまいます。そしてそれは人類補完計画を推進する力であるといえましょう。シンジはまさしく幻のカヲルによって欠けた心の補完をすることができたからです。したがって、シンジの自我境界はさらに薄くなり、ロンギヌスの槍(?)がエヴァの心臓に刺さり、エヴァは「命の胎芽たる生命の樹へ還元」(冬月)します。カヲルはふたたびレイとなり、シンジを包み込みます。シンジの母、ユイの声が響きます。「今のレイは、あなた自身の心。あなたの願い、そのままなのよ」。シンジにカヲルの姿を見せたように、レイはシンジの願いそのままです。そのような状況で、シンジはなにを思うのでしょうか。
 ところで、カヲルがシンジに声をかけるときですが、そのときまさに同時に、シンジの持っているミサトの十字架がクローズアップされます。補完計画に同調し、幻の安心した世界を望んだかに見えるシンジですが、シンジを待ってい、「ココ」にいる意味を考えろというミサトの思いもまだシンジには残っています。そんなシンジに「なにを願うの?」レイが問いかけます。そしてシンジは自らの「願い」をあらためて探していくことになるわけです。

期待、いらだち、受容、拒絶

 さて、ここからはシンジと死者との語らいが始まります。って、いきなり”死者”と申しましたけれども、ミサト、リツコ、加持はいうまでもなく、アスカはエヴァシリーズによってめちゃくちゃにされてますし、レイは巨大化しいわゆる個体としてのレイではなくなっていますので。そんな死者との語らいは、砂場のシーンから始まります。ここは章の冒頭にあげたような言葉とともに考えてみましょう。あ、ここからはできるだけ細かく見ていきます。十字架のみを追うのでなしに。

<期待と受容といらだち>

 砂場のシーン。回顧するシンジは次のようにつぶやきます。「---そうだ。チェロを始めたときと同じだ。ココにきたら何かあると思っていた」。なにがあると期待していたのでしょうか。砂場には女の子が二人いまして、「シンジ君もやりなよ」「がんばってかんせいさせようよ、おしろ」と声をかけてくれまして、シンジは一緒におしろを作ります。ずばり、ここにあったのはシンジを受け入れてくれる、受容してくれる存在ですね。シンジはなにもせず、ただ立っていただけ、「ココにきた」だけです。が、女の子たちはそんなシンジを受容します。
 しかし、女の子たちはママに呼ばれて家に帰ってしまいます。さくっとシンジを見捨てます。シンジはべそをかきながらおしろを完成させますが、そのおしろを壊してしまいます。一人残された寂しさをおしろにぶつけるわけです。が、そういったシンジを見てアスカはいらだちます。アスカは言います。「だあー、もうー、あんた見てるとイライラするのよっ」。それを受けてシンジが言います。「自分みたいで?」。そう、アスカは”ママ”を求めていました。そういう自分を受け入れてくれると期待できる”ママ”を求める気持ち(TV版で”私を捨てないで!”とママに求めていましたっけ)は砂場でのシンジと同じです。じゃ、なんでいらいらするのか。ちょいとそのことはあと回しして、先に進みます。

<受容から拒絶へ>

 アスカの「ママ」という言葉から、ミサトの言葉「結局、シンジ君の母親にはなれなかったわね」が導き出されます。このとき十字架のネックレスがクローズアップされます。ここではミサトを指すものとしてあらわれています。
 ミサトのシーンですが「ん---ねぇ、しよ」(おほほ)という言葉から始まるとおり、ここはミサトと加持とのSEXのシーンです。なぜそんなことをするのか、についてミサト自身が説明します。「たぶんね、自分がココにいることを確認するためにこういうことするの」。身体のエロスのつながりがあれば、少なくとも自分の身体は求められていることが実感できるわけで、ココにいる理由も確認できるわけです。しかしアスカとリツコはそれを一蹴します。そんなのは「ただ寂しい大人が慰め合っているだっけ」(アスカ)ですから。
 さきほど、シンジとアスカを見ましたが、ミサトも大差ありません。ココにいる理由が得られると期待しながら、身体のエロスによって「イージーに」(アスカ)受容されているだけですから。シンジは驚きます「これが、こんなことしてるのがミサトさん?」。十字架のネックレスがクローズアップされますが、これも先ほどと同様にミサトを指すものとして、ですね。で、アスカが言います「あーあ、私も大人になったらミサトみたいなこと、するのかなぁ」。そう、シンジもアスカもまだまだ子供なわけで、SEXで自分が受容されて、ココにいる理由を確認したりはできないんですね。二人は女友達に、そしてママに受容されることを望むばかりです。
 しかし、そこは大人ぶるアスカです。家のシーンに変わりますが、シンジに持ちかけます「---ねぇ、キスしようか」。ミサトにたしなめられながらもシンジにキスをしようとします。ミサトの経験をトレースしようとするわけです。しかしまさにキスをしようとするそのときに、アスカはシンジを拒絶する強烈な言葉を発します。「なにもわかってないくせに、私のそばに来ないで!」。
 ここのところ、アスカの言動が突飛な感じがするのですが、さきほどアスカが感じていたいらだちをよくあらわしています。キスのシーンをシンジの側からみてみましょう。っていうか、場面を見てもシンジの視点で、アスカがシンジに近づいてくるように描かれていますね。で、シンジはここでもなにもしていない。アスカが近づいてくるのを待っているばかりなのですが、アスカがキスをしようと近づいてくるとき、そんなシンジにあるのは期待です。そらそうでしょう。キスができるわけですから。さらにいいますと、もうちょっと会話が進んだあたりで、アスカの唇、胸、首(鎖骨)、足がエロティックな視線で映し出されるシーンがあります。これってシンジの視線だと思うんですが、まさに期待にみちみちた視線であります。先ほどの砂場でのシーン、シンジは「ココにきたら何かあると思っていた」という期待を持っていました。アスカもママへの期待を持っていました。そう、アスカのいらだちの原因はこうした期待、自分が受容されることへの期待であったのです。他人に対してイージーに期待をすること、これこそがまったくもって「なにもわかってない」のです。
 したがって、そうした期待を持ったシンジに対し、アスカは「なにもわかってないくせに、私のそばに来ないで!」といいます。後の方で出てくるんですけど、他人は自分とは違うわけですから、自分を見捨てますし、自分を殺すこともあります。そんなことをわかりもしないままで、自分を受容してくれると期待して他人(アスカ)の近くに来るな!と拒絶するのです。
 しかし、シンジはアスカに対し、「・・・わかってるよ」と応じます。この言葉に対してもアスカが食ってかかります。「わかってないわよ、バカッ!」と言い、シンジに蹴りを入れます。シンジが期待していたキスとは全く異なる行動です。アスカはシンジを傷つけ、身体でもってシンジを拒絶します。さらに問いかけます。「あんた私のこと、わかってるつもりなの?」。自分にキス、あるいはそれ以上のことをしてくれる、自分を受容してくれるモノとしてしか、アスカのことをわかっていないでしょう。さらに「救ってやれると思ってんの?」と問います。ここで”救い”という言葉が出てくるのが唐突なんですけど、ひょっとするとこれはアスカが救いを求めていることの裏返しで出てしまった言葉なのかもしれません。しかし、アスカはシンジに救われようとは思いません。「それこそ傲慢なおもいあがりよっ!」「わかるはずないわ!」。傲慢という言葉とともに拒絶するのです。
 シンジはここで言い返します。「わかるはずないよ。アスカはなんにも言わないもの。なにも言わない、なにも話さないくせに、わかってくれなんて無理だよ!」。一見もっともなように聞こえますが、即座に、今度はレイがつっこみます。シンジとアスカの両者が”わかるはずない!”ってところに落ち着いたので、第三者のつっこみが要請されるわけです。「碇君はわかろうとしたの?」。シンジは「わかろうとした」と憮然と答えますが、わかろうとなんてしていません。その証拠たるシーンが映し出されます。「ばーか、知ってんのよ、あなたが私をオカズにしてること」。そう、ぼろぼろのアスカを目の前にして、あろうことかシンジはオナニーをしてしまっていました。さっきもシンジのエロティックな視線を確認しましたが、この病室のシーンでもシンジはアスカのはだけた胸に視線を向け、オカズにしちゃっていました。さて、オカズというのは本来は食事の際の副食物のことを言います。そう、ここの”オカズ”も、アスカは副食物であり、メインは自分の(・・・リアルに書こうとしたけどやめやめ^^;;)、もとい、自分が気持ちよくなることです。そこにアスカはいないです。自分の快楽こそが中心にありますから。シンジの「わかろうとした」っていうのが嘘だとわかります。
 アスカは挑発します。「いつもみたくやってみなさいよ。ココで見ててあげるから」。場面は電車のシーンとなり、レイとアスカとシンジがいます。アスカがシンジに胸を突きだします。そして言います。「あんたが全部わたしのものにならないなら、私、なにもいらない」。ここも難しいのですが、逆に考えてみましょう。つまり、シンジが全部私のものになるならば、アスカはその全部がほしい(”いらない”の反対を”ほしい”にしてみました。”いらない”を”ほしくない”と解しているからです)となります。”全部”っていうのがよくわかりませんが、ここでアスカはシンジを受け入れる態勢をいくばくかはとっているようです。しかし、それを受けてシンジは次のように叫んでしまうのでした。「だったら僕に優しくしてよっ!

僕を助けてよ

 さて、前節がかなり長くなってしまいました。ここで簡単に振り返ります。シンジ、アスカ、ミサトには、自分が受容されることへの期待がそれぞれの形で存在していました。しかしそこにアスカが亀裂を入れます。なにもわかっていない、そんなふうに期待を持っているなら、私のところに近づいてこないで!とシンジに言い、自分が受容されることへの期待を拒絶します。アスカは拒絶しながらも、別な形でシンジを受け入れる態勢を見せますが、そこでシンジは、僕に優しくしてくれとアスカに言うのでした。
 それ対する答えは、ミサト、レイ、アスカともども同じです。「優しくしてるわよ」。しかしシンジは信じません。「ウソだっ!」。ここでは、ミサト、レイ、アスカの笑顔が電車に乗っているシンジの頭の上にゆらゆらとあらわれます。シンジの言う「笑った顔でごまかしているだけだ。曖昧なままにしておきたいだけなんだ」という不安定さがよく映し出されています。
 さて、曖昧さをいやがるシンジですが、次にどのような行動に出るかというと、さきほどとは一見うってかわっています。「ざわざわするんだ。落ち着かないんだ。声を聞かせてよ!僕の相手をしてよ!僕にかまってよー!!」ということで、自分から他者、この場面だとアスカ、への働きかけを行うのです。しかし、それがどういう働きかけかというと以下のようなものでした。以下にシンジの言葉と行動を引用します。

「なにか役に立ちたいんだ。ずっと一緒にいたいんだ!」
#テーブルで顔を伏せているアスカの周りをぐるぐるまわる。

「アスカ、助けてよ。ねぇ!アスカじゃなきゃだめなんだ」
#顔を伏せているアスカの横に行き、顔を近づける。

「アスカ助けてよ」
#自分に逃げているだけだ、としてつめよるアスカから逃げまわる。

「ねぇ、僕を助けてよ」
#同上。

「助けてよ。・・・ねぇ・・・誰か僕を・・・お願いだから僕を助けて」
#突き飛ばされてコーヒーまみれになりながら。顔は伏せている(アスカを見てない)。

「助けてよ・・・助けてよ・・・」
#同上。

「僕を助けてよ!」
#テーブルをひっくり返し、あばれる。

「一人にしないで!」
#いすを投げて、あばれる。

「僕を見捨てないで!僕を殺さないで!」
#同上。

懇願、ですね。”自分を助けて”とひたすらお願いしています。アスカへの働きかけも、彼女の周りをぐるぐる回ったり顔をうかがったりするばかり。最後にはアスカから目をはずし、自分が助けてもらえない怒りを机やいすにぶちまけるのです。
 やりとりの中で、アスカが指摘する、「自分しかココにいないのよ!」という言葉の通りです。特定の誰かの役に立ちたいとか、ずっと一緒にいたいとか、そういうのは「ウソ」(アスカ)であり、誰でもいいから自分を助けてくれる存在を望んでいるだけです。しかも一方的に。自分では助けて助けて言っているだけ。なるほど、「それが一番楽で、傷つかない」(アスカ)です。なんの痛みを負うこともありませんし。「ほんとに他人を好きになった事ないのよ!」(アスカ)。自分が救われたい!一心なのです。「他人」を一見好きでいるように見えて、「他人」なんて実際は誰でもよくて、誰でもよいから自分を助けてくれればよくて、結局は”自分が助かりたい”。「他人」->誰でもいい->自分が救われれば、っていう思いであり、そこに「他人」なんていないですよね。シンジは自分を好きなだけであり、自分とは異なる存在としての、自分を時に見捨て、ややもすると自分を殺すかもしれないような「他人」を、「ほんとに他人を好きになった事ないのよ!」。それでいて「その自分も好きだって感じたことないのよ!」と言われます。後のレイとの対話で明らかになるシンジの気持ち「むしろいない方がいいんだ。だから僕も死んじゃえ」が指摘されるのです。

否定、そして再びの問いかけ

 さて、またまた整理しましょう。とりあえずチャートで。

 ○自分が[受容]されることへの[期待]の存在 by シンジ/アスカ/ミサト
  ↓
 ○イージーに自分が[受容]される経験(SEX)by ミサト
 ○イージーに自分が[受容]される試み(キス)by シンジ/アスカ
  ↓
 ○自分が[受容]されることへの[期待]の[拒絶] by アスカ
 ○別な形での受け入れ態勢 by アスカ
  ↓
 ○”自分を助けて!”という[懇願] by シンジ
  ↓
 ○”イヤ!”という[拒絶] by アスカ
  ↓
 ○アスカの[否定] by シンジ

 まず、自分が[受容]されることへの[期待]がありました。ミサトはSEXで[受容]経験を得ます。アスカとシンジもキスという形でその経験をトレースしようとしましたが、アスカが拒絶します。自分が[受容]されることへの[期待]をもって近づいてくるな、と[拒絶]します。「あんたが全部私のものにならないなら、私、なにもいらない」という言い方で、アスカはちょっとシンジを受け入れる態勢を見せたかと思われたのですが、それに対してシンジは”助けてよ!”と[懇願]するばかり。その[懇願]をアスカははねつけます。”イヤ”と。再びの[拒絶]です。
 さて、その[拒絶]を受けて、シンジはどうしたのでしょうか。そう、シンジはアスカの首を絞めます。自分のことを助けてくれない他者をシンジは否定するのです。アスカにあれだけ言われてもまだシンジは自分の姿勢をあらためません。シンジにとってアスカはオカズであり、その役目をしないんだったらいなくていいのです。このあとのシンジとレイの対話を見てみましょう。すべて引用します。

シンジ:「誰もわかってくれないんだ」
レイ :「なにもわかっていなかったのね」
シンジ:「いやなこともなにもない、揺らぎのない世界だと思っていたのに」
レイ :「他人も自分と同じだと、一人で思いこんでいたのね」
シンジ:「裏切ったな!僕の気持ちを裏切ったんだっ!!」
レイ :「はじめから自分の勘違い。勝手な思いこみにすぎないのに」
シンジ:「みんな僕をいらないんだ。だからみんな、死んじゃえ」
レイ :「では、その手は何のためにあるの?」
シンジ:「僕がいてもいなくても、誰も同じなんだ。なにも変わらない。だからみんな死んじゃえ」
レイ :「では、その心は何のためにあるの?」
シンジ:「むしろいない方がいいんだ。だから僕も死んじゃえ」
レイ :「では、なぜココにいるの?」

シンジ:「ココにいてもいいの?」
(無言)

この場面。シンジの言葉を整理すると、みんな僕をいらないんだから、みんな死んじゃえばいい、僕もいない方がいい。僕も死んじゃえ。それで揺らぎのない世界が訪れるだろう、となりましょう。これって人類補完計画ですね。みんなの心を一つに!です。
 アスカの首を絞めたところまでですとそうなります。しかし、レイの言葉がシンジの心をゆさぶります。シンジの手。さきほどはアスカの首を絞めた手ですが、その手は何のためにあるのか。暴力を振るうだけでなしに、たとえば人にふれる手。なでる手。さする手。ミサトが死ぬ前に、シンジの顔を包んだ手。シンジをエレベータに送り出した手。シンジに十字架のネックレスを手渡した手。そうした手はどうなったのか。シンジの心。「僕がいてもいなくても、誰も同じなんだ。なにも変わらない」と、かたくなな心ですが、たとえばTV版でシンジが第三新東京市を離れようとしたとき、トウジとケンスケが見送りに来てくれたというようなことがありました。そこにあった心のふれあい、自分が去っても誰も気づかないっていうんじゃなしに、誰かにとって唯一であった自分の心のありよう、そういった心はどうなったのか。上に引用したシーンでは、学校の同級生、そしてネルフの同僚たちの姿が走馬燈のように流れます。そういった他人とのやりとりをした心はどこへいったのか。レイは問いかけるのです。
 そしてとどめは「では、なぜココにいるの?」です。ミサトの宿題と同じ問いかけがここで再び投げかけられます。ミサトの姿が映し出されることに注目です。「むしろいない方がいいんだ。だから僕も死んじゃえ」と思うシンジですが、彼は結局死にきれませんでした。なぜ死にきれなかったんでしたっけ。シンジはカヲルを殺し、アスカにひどいことをしたという経験から、もうどうでもいいんだと、死を望んでいました。実際に死にかけました。ネルフ本部に軍が攻め込んできまして、彼はまさに撃たれようとしましたから。しかし、実際は撃たれなかった。なぜか。それはミサトが助けたからです。ミサトが命を張って軍を排除し、シンジを救ったのでした。もし、ミサトがシンジを「むしろいない方がいいんだ」なんて考えていたとしたら、助けたりしません。少なくともミサトにおいては、シンジは必要とされる人間だったのです。レイの問いかけでシンジにミサトの記憶、ミサトの十字架の記憶、「他者に助けられた、守られた、愛された記憶」が思い出されます。誰かに、いややめましょう、ミサトという固有名を持った特定の他者に必要だと思われたからこそ、シンジはココにいることができているのです。
 さらに、シンジはミサトを無視してもよかったんです。なるほど助けられはしましたが、ミサトの宿題なんて無視してもよかったはずです。エヴァに乗らない選択肢もあったでしょう。しかしシンジはエヴァに乗った。乗って「何のためにココに来たのか、何のためにココにいるのか、今の自分の答えを見つけ」ようとした。レイの問いかけた「では、なぜココにいるの?」こそ、まさにシンジの取り組むべき問題だったということが改めてシンジ自身に、ここで確認されるのです。
 レイの問いかけにより、シンジのかたくなな心が溶かされます。「ココにいてもいいの?」という、自信なさげなシンジの問い返しはシンジの心の変容をあらわしています。その前のかたくなな姿勢ではありませんよね。しかし、「では、なぜココにいるの?」っていう問いかけは、はシンジが自分で見つけるべき問いかけであり、誰かから与えられるべき問いかけではありませんので、シンジが「ココにいてもいいの?」と問い返したところで「(無言)」が返ってくるのみです。ですけどシンジはこれに耐え切れられず、「うわああああああああああ」と叫び、再び人類補完計画を進めてしまうことになるのでした。

答えの根拠

 さて、前節で見たように、この場面ではシンジはレイの問いかけ=ミサトの問いかけに答えられません。逆に答えをたずねてしまっています。しかし、この後、シンジはこの問いかけに答えるのです。では、なんでこの場面で答えられなかったシンジが、後で答えることができたのか。そこでポイントとなるのが十字架の記憶であるのです。十字架の記憶こそが、シンジの答えへの根拠となっているのです。続きましては、シンジの答えの部分を中心に、記憶の物語を進めていきましょう。

 はてさて、ずいぶんと時間をかけてしまいました。十字架はどこへ行ったのでしょうか(^^::。しかし今回取り上げたところはやはりゆっくりと見ておくべきかと思いまして。当初の予定では後編を書くつもりだったのですが、後編はまた次の話ということで、今回のものは中編とし、ひとまず筆を置くことといたします。

続く。。。(次はすぐ出すぞ!!)




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